「星空チャンネル」2010年クリスマス特別編
火炎と水流

サンタクロース


「ねえ、水流は何をお願いしたの?」
桃香が言った。
「え? 願いごと? って言ったって、もう七夕は過ぎたろう? 正月はまだだし、えーと何に願うのさ?」
水流が訊いた。
「フフフ。水流ってば知らないの? もうすぐクリスマスじゃない。いい子にしてたら、サンタクロースにプレゼントもらえるんだよ。だから、サンタさんにお手紙書くの」
桃香がうれしそうに言う。
「へえ。プレゼントかあ。おいらももらえるかな?」
「きっともらえるよ。いい子にしてたら……。ねえ、火炎、そうだよね?」
台所でデザートのりんごを剥いていた火炎がチラリと振り向いて言う。
「さあな」
素っ気無いその態度に水流は少しうなだれて言った。

「いいよ。どうせ、プレゼントもらえるのは人間のいい子だけなんだろ?」
とすねる水流の顔を覗き込むように桃香が言った。
「大丈夫だよ。だから、ねえ、水流もいっしょにサンタさんにお手紙書こう」
「うん。でも……一体何を書いたらいいんだい?」
「えーとね、お元気ですか? って。それから、自分のこと。それに、欲しい物が何かを書くの。そうしたら、サンタさんがそれを見て、クリスマスの夜に届けてくれるの」
「へえ。クリスマスっていいもんなんだな」
と水流もこたつでぬくぬくしながら、桃香にもらった画用紙に手紙を書いた。そして、夜、桃香はその手紙を枕元に置いて眠った。水流は風呂場の脱衣籠の中にそれを置いた。そうしておくと夜の間にサンタクロースがそっと手紙を読んでプレゼントを用意してくれるというのだ。


二人がすっかり夢見ていた頃。火炎はその手紙をそっと開いて目を通した。
「桃香が欲しいのはピアノか……」
画用紙にはピアノとその周りで楽しそうに踊ったり歌ったりしている子供や可愛らしい動物達の姿が描かれている。
(ちょっと高い買い物になるな……)
火炎は心の中で呟いた。彼が用意した予算では収まりそうもない。しかし、桃香の望みは叶えてやりたい。火炎は逡巡した。

(何とかしないとな。明日からバイトを増やすか)
桃香がピアノを欲しがるのも無理はなかった。最近、越して来たばかりの彼らのすぐ近所にピアノ教室があって、保育園の帰りにそこを通る度、いつもピアノの美しい曲が聞こえて来た。桃香はいつもそれをうらやましそうに見ていた。そこは評判のいい教室らしくて、桃香の園のクラスの何人かもその教室に通っているという。

「ピアノか……」
火炎はため息をついた。そして、同時にひどく懐かしい想いもした。
(あれはいつだったろう……。桃子さんも弾いていた……)
あたたかなメロディー……。そして、やさしい記憶……。火炎はそれを聴くのが好きだった。その曲が何というのか彼にはわからなかった。が、聴いているととても穏やかで幸せな気分になれた。そして、淡く切ない想いが募るのだ。
「ああ。もう一度聴きたい……」

そこで彼は閃いた。
(そうだ。桃香にピアノを習わせよう。あの子はピアノを欲しがっているのだし、それは、つまり、ピアノを習いたいということではないか? 人間の子供には音楽などの情操教育が大事だと、ものの本にも書いてあったぞ。桃香の周りの子供もみんな何か習いごとをしているらしいし。女の子達は大抵ピアノを習うものらしい。そうか。どうして今まで気がつかなかったのだろう? 桃香をいかに人間らしく育てるかこれまでだっていろいろ勉強して来たつもりになっていたが、どうやら根本的な部分を見逃していたらしい。水流が来てからはますます桃香に悪影響を与えているし。この辺で一つ大きく考えを改めなければ子育て失敗なんてことにもなりかねない。妖怪に育てられたから普通の人間とちがうなんて、人間達から後ろ指指されるような事態だけは何としても避けなければ……。よし! 決めたぞ。クリスマスには本物のピアノをプレゼントしよう。それと、ピアノ教室)
火炎は桃香の喜ぶ顔を想像して微笑した。
「よし! 明日からはバイトを増やしてがんばろう」

ふと脱衣籠の中に置き去りにされた画用紙を見つけ、ちらと読む。
「何だ? 水流の奴、ひらがなもろくに書けていないじゃないか。こんなんでよく学校へ行きたいなんて言うもんだ」
とぶつぶつ言いながらポイとくず籠に投げ入れる。火炎の頭の中は桃香とピアノのことでいっぱいだった。
(そして、いつか桃子さんのように……愛されるべき美しい娘に育てるんだ)
火炎は、成長し、娘らしくなった桃香がピアノを弾く姿を想像して微笑した。


そして、数日後。火炎は早速桃香を連れてそのピアノ教室へ行った。
「どうぞよろしくお願いします」
火炎が言った。
「初めまして。結城です」
彼は若く感じのいい先生だった。
「さあ、桃ちゃん、先生にごあいさつして」
火炎が促す。
「でも……」
桃香はもじもじと火炎の背後に隠れている。
「あれ? どうしたのかな? 桃ちゃんはどんな曲が好きなのかな?」
結城はやさしく微笑んだ。
「えーとね、元気がよくてかっこいいやつ……『ボルダーガイン』の歌とか……」
「ああ。アニメのね。先生も知ってるよ。ストーリーは微妙だけど、歌はカッコいいよね。桃ちゃんも弾けるようになりたいんでしょう?」
結城が巧みに誘導し、ピアノの前に座ると軽快にその曲を弾き始めた。一瞬だけ彼女の顔がうれしそうに笑う。が、すぐにまた火炎の後ろに隠れようとする。

「さあ、こっちへおいで。いっしょに弾いてみよう」
結城が手招く。
「ほら、先生が呼んでいるよ」
火炎がやさしく背中を押す。
「うん……」
おずおずと近づいて鍵盤に乗った結城の手を見つめる。
が、すぐに背中を向けると火炎の元へ戻って来てしまう。

「桃ちゃん? どうしたの? ピアノ習いたかったんでしょう? いいんだよ。桃ちゃんのやりたいことをしても……」
火炎が言った。
「今日はクリスマスイブだから、桃ちゃんにプレゼント」
「火炎……」
小さい桃香がじっと火炎を見つめる。
「いいの。桃香、ピアノやらない」
「どうして? いいんだよ。心配しなくても大丈夫だよ。ちゃんとお金も払えるし、もし、何処かへ越すことになっても、ちゃんとここへ連れて来てあげるよ。桃ちゃんがそうしたいなら……」
「したくない」
桃香が言った。

「え?」
「桃香、ピアノはやりたくないの。桃香、どうせやるならサッカーがいい!」
「桃ちゃん……」
唖然としている火炎に結城がやさしく言った。
「どうやら桃ちゃんには、ピアノよりもっとやりたいことがあるようですね」
「あの、すみません。お忙しいところ、無理を言って時間をとっていただいたのに……」
火炎が詫びた。
「ごめんね。火炎。でも、桃香がやりたいのはピアノじゃなくてサッカーなの。なかよしキンダークラブのサッカーチームに入りたいんだ。桃香ね、なかなか筋がいいって先生に褒められたんだよ。それでサッカーチームに入らないかって誘われて……。でも、桃香、サッカーボール持ってないから、サンタさんにお願いしたの。ねえ、火炎、今夜、サンタさんはサッカーボールプレゼントしてくれると思う?」
「あ、ああ。きっとね」
火炎はそう言う桃香の頭をそっと撫でてやりながら桃香が書いたあの画用紙の絵を思い浮かべた。そう言えば、周りに描かれていた動物達の足元に転がっていた丸い物体はサッカーボールにちがいなかった。

「本当にすみません。何かおれが早とちりしてしまったらしくて……」
と恐縮する火炎に結城はにこにこと言った。
「いいんですよ。本当にやりたいことをさせてあげるのが1番ですよ。ピアノはいつだってできますからね。また、興味が出て来た時にいらしてください」
いい人だと思った。火炎と桃香がさよならのあいさつをして玄関を出ようとした時、結城がちょっと待ってと言って奥から何かを持って来た。
「メリークリスマス! よかったらこれを」
とリボンの付いたかわいい袋をくれた。
「君の願いが叶いますように!」
「ありがと」
桃香がうれしそうに受け取る。火炎ももう一度お礼を言うとピアノ教室をあとにした。


袋の中身は星のクッキーとチョコレートだった。
「うわっ! うまそう! 桃ちゃん、おいらにも1つちょうだい」
早速、水流が手を伸ばす。
「はい。クッキーのとチョコレートのあげる」
桃香が渡すと水流はうれしそうにクッキーを頬張る。
「ウフフ。水流ってば食いしん坊ね」
と笑う。

そこへ火炎がチキンやケーキやデザートなどクリスマスの料理をたくさん運んで来た。
「うわっ! これってすっげえごちそうじゃん。どうしたんだよ?」
「今日はクリスマスイブだからな」
と火炎が言った。
「そうかあ。今日が本番って訳?」
部屋の隅に飾られた小さなクリスマスツリーを見て言った。
「そんじゃあ、今夜はいよいよサンタクロースがプレゼント持って来てくれる日なんだね?」
「そうよ」
桃香がうれしそうに言った。
「へえ。楽しみだなあ。ごちそうも食えるし、何かおいら、クリスマスって大好きだなあ」
と幸せそうに笑う。
「ホント。桃香もクリスマス大好き!」
みんな楽しそうに笑って楽しい夜の一時を過ごした。


そして、深夜。例によって風呂桶の中で眠っていた水流を誰かが呼んだ。
「水流、起きろ」
「ふぇ? 何だよ、こんな夜中に……」
ぬるま湯の中から半身だけ突き出すと眠そうに言った。が、目の前にいるその人物を見てザバッと一気に洗い場に飛び出した。
「お、おめえは、サ、サンタクロース……!」
赤い帽子に赤い服。白い髭のその人物は、桃香が絵本で見せてくれたその人物にちがいなかった。
「ひえー。まさか本物に会えるなんて、おいらラッキー! そうだ! 桃ちゃんにも教えてやんなきゃ」
と慌てて飛び出そうとする水流の手を掴んでその人物は言った。
「そんなびしょ濡れのままで何処に行く?」
「おっと。いけねえ」
水流はぶるんっと震えて水滴を払った。
「そうそう。それに洋服もちゃんと着ねえとな。ああ、人間って面倒くせえぜ」
と大急ぎでズボンとシャツを着る。

「よし! 支度が済んだのならちょっと手伝え」
サンタクロースが言った。
「何だよ、サンタってのは随分人使いがあらいんだな」
と文句を言いながら表へ付いて行くとそこには大きな黒い物体があった。
「これを部屋の中へ運ぶんだ」
「わかったよ。どれ……うげっ! 何だよ、この重さは……」
「仕方がないだろう。もう頼んじまったんだ。これをどうやって夜中に部屋の中へ運び入れるか考えていたんだ。さあ、そっちを持て」
言われるまま水流はその物体の片側を持った。そして、ようやくそれを部屋の中へ運び入れると窓際に置いた。そして、桃香の枕元には丸く包まれたプレゼントとカードを置く。

「で? おいらのプレゼントは何処?」
と水流がわくわくと訊く。
「予算オーバーだ。おまえの分までは回らなかった」
「えーっ? そりゃないよ。せっかくこれ運ぶのだって手伝ったんだぜ」
「うるさいな! おれだってこいつをどうしようかと考えているところなんだ」
サンタが怒鳴った。
「これって何だよ?」
「ピアノだ。桃香がピアノを欲しがってると思ったんだ。今日の夜、こっそり家の前に届けてくれと無理に頼んだんだ。今更いらないとは言えないし、こうなったらおまえ弾け」
「な、何だよ、おいらにピアノなんか弾けるわけねえじゃん」
「それもそうだな」
彼はピアノの前で何か考えていた。

――ピアノはいつだって興味が出て来た時弾けますから……

結城の言葉が頭を過ぎる。
「興味を持ったらいつでもか……」
彼は何かに納得し、満足した。
「うーん。誰かいるの?」
ふいに桃香が目をこすりながら言った。

「メリークリスマス!」
サンタクロースがそっと近づいて言った。
「サンタさんなの?」
桃香の問いに彼がうなずく。
「本当に、本物のサンタクロース?」
「そうだよ」
桃香は枕元にあった包みを見つけて喜んだ。
「ありがとう。サンタさん」

それから、窓際に置かれた大きなそれを見た。
「あれは?」
「あれは、火炎に」
とサンタクロースは言った。
「火炎に?」
「そう。本当にピアノを習いたがっていたのは火炎の方なんだよ。だから、こっそりプレゼントしてあげるのさ」
「そうだったの。火炎、きっと喜ぶね」
桃香もうれしそうに微笑する。
「だから、もうおやすみ。今夜はもう遅いから……。それにサンタさんは次のプレゼントを配りに行かなくてはいけないからね」
「うん。クリスマスはサンタさん大忙しだものね。行ってらっしゃい。気をつけてね」
「ありがとう。また、来年。君がまた一つ大きくなった頃に……」
と言って彼は窓から出て行った。
「また、来年か……」
水流はふてくされたように風呂場に戻り、今度は朝までぐっすりと眠った。


そして、水面にキラキラと朝日がいっぱい反射する頃、目を覚ました。水流は脱衣籠の中にその包みを見つけて歓声を上げた。
「うわっ! ホントにプレゼントが置いてあるぅ!」
水流はうれしさのあまりそれを持って部屋へ飛んで行った。
「見て見て! おいらにもプレゼント来たよ! ほら! ね? ほらほら、見てよ、これ! おいらが欲しかった汽車の模型だ!」
「よかったね。水流」
と桃香も喜ぶ。

「ああ。ありがとな。火炎」
と礼を言う水流に火炎はそっぽを向いて答える。
「さあな。おれは知らん。礼ならサンタクロースに言うんだな」
「そうだよ。サンタさんは、火炎にもちゃんとプレゼントくれたのよ」
「へえ。火炎にも?」
「ああ。桃子さんが弾いていたあの曲を、いつかおれも弾けるようになったらいいかな……と」
火炎は遠い窓の向こうに想いを馳せた。心の中に響くそれはとても優雅であたたかな曲……。
(いつか、あれを……)
と、ふと現実に振り向くと素っ裸のまま汽車を持ってはしゃいでいる少年の姿が飛び込んで来た。
「水流! びしょ濡れのまま畳の上を歩くんじゃない! それに服を着ろ! 服を!」

火炎に怒鳴られ、慌てて持っていた汽車で隠して脱衣所に向かって走り出す水流。それを見て笑い出す桃香。
そんな彼らの様子をピアノと火炎とクリスマスツリーがやさしい気持ちで見つめていた。
(グッバイ! サンタクロース。また、来年)